水の中の不自由さはどこか我々大人が身を置いている”社会”での活動と似ているように思える。学業を終えて気がついたら広い世界に放り出されて、特技や他者より秀でた能力を有さない、何者でもない自分がちっぽけな存在に思え、普通に息をすることもままらない20代。
泳ぎ方もわからず、必死に腕を回し、不格好なバタ足で少しずつ前へ進む。やっとの思いで25メートルを泳ぎ切り顔を水面から上げ周りを見渡すと、一斉にスタートしたはずの皆はすでにプールサイドでにこやかに談笑をしていて、自分の力の無さを否応なく受け入れないといけないあの感覚。
この感覚って多くの人が味わったことがあるもので当たり前となっているかもしれないけれど、果たしてそうなのだろうか。実はそこには”競争すること”が前提となりすぎていて、自分の人生を”楽しむ”という感覚が忘れられていないだろうか。
プールで初めて水に足を入れた時の全身に伝わる冷たさと心地よさが入り混じった独特の感覚。水の中で息継ぎを覚え、浮かべた時の脱力感。どれもがはじめてあじわう感覚で心が躍ったり、リラックスした状態を知れたりと、自身の身体性を獲得できた瞬間は「自分には何でもできる」という思いを抱いたに違いない。
北九州市小倉南区城野にある『ときわスイミングスクール』は北九州市内唯一の“子ども専門”スクール。
子どもたちが自分自身の無限の可能性を自覚し、さまざまなことにチャレンジしていける環境づくりや、独自のイベント運営を通して、子育て中のお父さんお母さんとともに、まるで我が子と接するかのように一緒に子育てを楽しむ一風変わった水泳教室が新たな取り組みをスタートさせました。
先日、リオ五輪バタフライ銀メダリスト・坂井聖人さん(以下、坂井さん)を招き、一週間にわたる特別レッスンを開催。子どもたちが“リアルなオリンピアン”と日常的に触れ合い、水の楽しさを身体で感じられる機会をつくろうという試みだったといいます。
子どもを喜ばせたい――想いが結んだ特別な1週間

支配人の浅野晃平さんは、もともと自身も水泳の指導や運営に長く携わり、“子どもにとって、何よりも安全で、何よりも楽しいスイミングスクールをつくりたい”という思いでこの場所を守ってきたのだといいます。
「最近は小学校の授業で水泳をやらないところが増えてきているんです。コロナ禍もあって、なおさらプールに触れる機会が減りましたよね。だからこそ、子どもたちに水泳を好きになってほしい。もっと気軽に、でもしっかり学べる場所としてスイミングスクールを活用してもらえたら、と思っています」
そんなタイミングで、坂井さんを迎え入れたのには理由がありました。
坂井さんは地元・福岡県柳川市のスイミングクラブ出身。2016年のリオデジャネイロ五輪では、
あの“怪物”マイケル・フェルプスに0秒04差まで迫る銀メダルを獲得し、一躍トップ選手の仲間入りを果たす。
「坂井くんは、子どもたちの水泳普及に本気で取り組みたいと言ってくれて。しかも“水が怖い子ども、まだ顔も水につけられないような子どもたちのクラスにこそ入っていきたい”と。本当なら、オリンピアンってもっと競技指導の依頼がきがちなんです。でも彼は『いや、ビジネスっぽくなるより、一人ひとりと真剣に向き合いたい』と言ってくれました。それを聞いて、この人にぜひ来てもらいたいと。
それで一週間、うちに滞在しながら毎日教えてもらったんです。そうしたら本当にすごいことが起こって。オリンピックのことなんて全然知らない子でも、先生サインちょうだい!って駆け寄っていくんですよ。知らないからこそ、素直に憧れる存在になったり、輝くものを感じたりしたんだと思いますね」と支配人は笑顔で語ります。
“やらされる水泳”から“生きる力を育む水泳”へ

支配人が話していた水泳の魅力は、「水泳はほかのスポーツや学習とも両立しやすい」という魅力です。たとえば小さい頃から野球やサッカー、バスケなどをやっている子は、ケガ予防や体力づくりの一環として水泳を組み合わせるのがいい、と近年注目されています。
「大谷翔平選手が子どもの頃に水泳を取り入れていた、といったエピソードも聞きますよね。実は肩まわりや肩甲骨の稼働域を広げるのに水のなかで動くのがすごく有効で、ほかのスポーツにも好影響があるんです。さらに、勉強の合間の気分転換や体力維持にも向いている。たまに『水泳やってる子は文武両道を極めている子が多い』なんて言われることがありますが、あながち間違いじゃないと思いますね。」
「もちろん、始めるきっかけは何だっていい。少しの好奇心や、えいや!とあまり深く考えなくてスタートさせるのも問題ありません。このスクールには、はじめて泳ぎを始める子や競技者として成長を目指す子まで、さまざまな目標や想いを持って通ってくれている子がますし、何よりスタッフたちが子どもたちを全面的にサポートしますので安心してはじめられます。」
「泳ぐ楽しさを覚えれば、一生の趣味にもなります。子どもの頃に習って、中高生で他のスポーツに打ち込んだとしても、大人になって再びプールに戻ってくる、なんて人もいますよ。実際、トライアスロンに挑戦したり、ちょっとダイエットがてら始めてみたり、そういう広がりがある競技なんです。健康寿命を伸ばすっていう意味でも、水泳には大きな可能性を感じますね」
楽しみめる土台を一緒につくる

水泳は、子どもにとって最初の習い事として選ばれることが多いスポーツのひとつ。でもその後、野球やサッカー、勉強や音楽など他の世界に進むうちに、プールとは縁遠くなってしまうこともしばしばです。
だからこそ坂井さんは、一週間というまとまった期間でじっくり関わる企画を定期的にやっていきたいと言います。
「短期教室は夏休み限定で実施されることが多いけど、そうじゃないときにも水に触れられる場所があるといいですよね。子どもが小さいうちに、プールサイドの雰囲気や水の楽しさをしっかり体験しておくと、水泳嫌いが減るんじゃないかと思うんです。
本気で競技を目指す子にとっても、まずは“楽しい”から始めることが一番の近道。水中でのバタ足や呼吸法を通じて、身体の使い方やリズム感を覚える。やがて“もっと泳げるようになりたい”と思ったら、今度は競泳の世界へ。そこに僕みたいなオリンピアンがサポートで入っていけば、水泳の可能性はもっと広がる。そんなふうに感じています」
もっと気軽に もっと自由に
水泳は社会人になってからでも、あるいは高齢になってからでも続けられる。身体の大小や丈夫さも関係なく、自分のペースで楽しめる懐の深さがある。だからこそ、気軽に始めてみてほしい。
「泳げなくてもいいんですよ。顔をつけるだけだって立派な水泳体験です。続けていくうちに、呼吸が上手になって、肩や腰の筋肉がほぐれて、身体の可動域がひろがる。そういう日常的な変化を子どものうちから経験しておくと、将来“ちょっと思うように身体が動かないな”と思ったときにふとプールに行けるんです。水に浮かんでボーッとするのもいい。心のリフレッシュになる。水泳やプールって子どもたちの精神的な安定を取り戻すホームベースのようなものになると思うんですよね」と坂井さん。
大きな大会に出ることだけがゴールじゃない。メダリストと同じプールで遊んだ子どもが「もっと水が好きになった」と瞳をキラキラさせる。その道を極めた大人と触れ、かっこいい大人に憧れる。それらがきっかけで、子どもたちの「やってみたい」に繋がる。そこにはスポーツの原点が詰まっているように思える。
ときわスイミングスクールは子どもたちの最初の一歩を支える場所として、そして引退後のアスリートが水泳の魅力を広めていく拠点として、これからも走り続けるだろう。支配人の言う「水泳は生涯スポーツ」とは、単に身体を動かすだけの話ではない。人が生きるうえでの可能性を教えてくれるスポーツであり、それを親御さんとともにつくっていこうとするのが同施設が目指す姿なのだ。
もし、これから何かを始めようと思っていてどんなことに挑戦しようか迷っているのなら、
ときわスイミングスクールの扉を叩いてみるのもいい。そこで出会うのは、競う速さだけではなく、自分自身の可能性へとつながる新しい感覚かもしれない。
【取材協力】
ときわスイミングスクール
https://tokiwa-ss.jp/
浅野 晃平(あさの こうへい)
1982年4月4日生まれ。福井県生まれ、福岡県北九州市育ち。0歳から父が経営する「ときわスイミングスクール」で水泳を始める。
2000年 福岡大学入学。4年では水泳部主将を務める。
2004年日本選手権アテネオリンピック選考会では100mバタフライ13位。
2004年、名門枚方スイミングスクールに入社。コーチングの基盤を作る。
2008年に渡米し、カリフォルニア州 Palo Alto Stanford Aquatics (PASA)でボランティアコーチ就任。クラブチーム全米1位を6年連続戴冠。
2010年より 正式に採用され、Varsity group coachに就任。50名の選手を抱え、ジュニアオリンピックを制す。2016年帰国。
2017年 大阪体育大学水上競技部コーチに就任。現在20名の女子選手の指導を行う。
2018年4月の日本選手権で3名の選手(大阪体育大学女子、過去最多人数)が出場し、全員が決勝進出を狙う。在籍した2018年から2020年2月までに、半分以上の大阪体育大学の歴代記録を塗り替えた。
2020年4月には父が経営する「ときわスイミングスクール」へ入社。
2024年 支配人となり、北九州を盛り上げるために様々な面白い取り組みに挑戦している
【プロフィール】
坂井 聖人(さかい まさと)
1995年6月6日生まれ。福岡県柳川市出身。幼少期から泳ぎ始め、小学6年生でバタフライを主戦場に。
中学時代より全国大会で頭角を現し、高校1年時にインターハイ100mバタフライ優勝、高校3年時に200mバタフライ優勝。早稲田大学進学後、2016年リオデジャネイロ五輪に出場し、200mバタフライで銀メダルを獲得。
2024年5月に現役引退を発表し、現在は後進の育成や水泳普及のため各地を駆け回っている。